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「天台沙門・日朗、謹んで言上す。
先師・日蓮は、如来の本意に任せ、先判の権教を閣いて後判の実経を弘通せしむるに、最要いまだ上聞に達せず。愁鬱を懐いて空しく多年の星霜を送る。玉を含んで寂に入るがごとく逝去せしめ畢わんぬ。しかれども、日朗、忝くも彼の一乗妙典を相伝して、とこしなえに国家を祈り奉る」〈詮を取る〉。
「天台法華宗沙門、日向・日頂、謹んで言上す。
桓武聖代の古風を扇ぎ、伝教大師の余流を汲み、立正安国論に準じて法華一乗を崇められんことを請う状。
右、謹んで旧規を検えたるに、祖師・伝教大師は延暦年中に始めて叡山に登り、法華宗を弘通したもう」云々。
また云わく「法華の道場に擬して天長地久を祈り、今に断絶することなし」〈詮を取る〉。
日興、公家に奏し、武家に訴えて云わく、
「日蓮聖人は、忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり。いわゆる、大覚世尊、未来の時機を鑑みたまい、世を三時に分かち、法を四依に付してより以来、正法千年の内には迦葉・阿難等の聖者、まず小を弘めて大を略す。竜樹・天親等の論師は、次いで小を破って大を立つ。像法千年の間、異域には則ち陳・隋両主の明時に智者は十師の邪義を破る。本朝にもまた桓武天皇の聖代に伝教は六宗の僻論を改む。今、末法に入っては、上行出世の境、本門流布の時なり。正像すでに過ぎぬ。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(455)五人所破抄 |