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のなをとり、悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりし、これなり。
かくのごとく存じて、父母・師匠等に随わずして仏法をうかがいしほどに、一代聖教をさとるべき明鏡十あり。いわゆる、俱舎・成実・律宗・法相・三論・真言・華厳・浄土・禅宗・天台法華宗なり。この十宗を明師として一切経の心をしるべし。世間の学者等おもえり、この十の鏡はみな正直に仏道の道を照らせりと。
小乗の三宗は、しばらくこれをおく。民の消息の、是非につけて他国へわたるに用なきがごとし。大乗の七鏡こそ生死の大海をわたりて浄土の岸につく大船なれば、これを習いほどいて我がみも助け、人をもみちびかんとおもいて習いみるほどに、大乗の七宗いずれもいずれも自讃あり。「我が宗こそ一代の心はえたれ、えたれ」等云々。いわゆる、華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等、法相宗の玄奘・慈恩・智周・智昭等、三論宗の興皇・嘉祥等、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等、禅宗の達磨・慧可・慧能等、浄土宗の道綽・善導・懐感・源空等、これらの宗々、みな本経・本論によりて、我も我も、一切経をさとれり、仏意をきわめたりと云々。
彼の人々云わく「一切経の中には華厳経第一なり。法華経・大日経等は臣下のごとし」。真言宗云わく「一切経の中には大日経第一なり。余経は衆星のごとし」。禅宗が云わく「一切経の中には楞伽経第一なり」。乃至、余宗かくのごとし。しかも上に挙ぐる諸師は、世間の人々各々おもえり。諸天の帝釈をうやまい、衆星の日月に随うがごとし。
我ら凡夫は、いずれの師々なりとも信ずるならば不足あるべからず、仰いでこそ信ずべけれども、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(010)報恩抄 | 建治2年(’76)7月21日 | 55歳 | 浄顕房・義浄房 |