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されば我が弟子等、心みに法華経のごとく身命もおしまず修行して、この度仏法を心みよ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
そもそも、この法華経の文に「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」。涅槃経に云わく「譬えば、王使のよく談論して方便に巧みなるもの、命を他国に奉るに、むしろ身命を喪うとも、終に王の説くところの言教を匿さざるがごとく、智者もまたしかなり。凡夫の中において身命を惜しまず、かならず『大乗方等の如来秘蔵には、一切衆生に皆仏性有り』と宣説すべし」等云々。
いかようなることのあるゆえに、身命をすつるまでにてあるやらん。委細にうけたまわり候わん。
答えて云わく、予が初心の時の存念は「伝教・弘法・慈覚・智証等の勅宣を給わって漢土にわたりしことの『我は身命を愛せず』にあたれるか。玄奘三蔵の漢土より月氏に入りしに、六生が間身命をほろぼしし、これ等か。雪山童子の半偈のために身をなげ、薬王菩薩の七万二千歳が間臂をやきしことか」なんどおもいしほどに、経文のごときんば、これらにはあらず。
経文に「我は身命を愛せず」と申すは、上に三類の敵人をあげて、彼らがのりせめ刀杖に及んで身命をうばうともとみえたり。また涅槃経の文に「むしろ身命を喪うとも」等ととかれて候は、次下の経文に云わく「一闡提有って、羅漢の像を作して空処に住し、方等経典を誹謗す。諸の凡夫人見已わって、皆『真の阿羅漢にして、これ大菩薩なり』と謂わん」等云々。彼の法華経の文に第三の敵人を説いて云わく「あるいは阿練若に納衣にして空閑に在って乃至世の恭敬するところとなること、六通の羅漢のごときもの有らん」等云々。般泥洹経に云わく「羅漢に似たる一闡提にして悪業を行ず
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |