2028ページ
て、後生菩提をねがいしほどに、すでに仏になり近づきし時は、一乗妙法蓮華経と申す御経に値いまいらせ候いし時は、第六天の魔王と申す三界の主おわします。「すでにこのもの仏にならんとするに二つの失あり。一には、このもの三界を出ずるならば、我が所従の義をはなれなん。二には、このもの仏になるならば、このものが父母・兄弟等もまた、娑婆世界を引っ越しなん。いかがせん」とて、身を種々に分けて、あるいは父母につき、あるいは国主につき、あるいは貴き僧となり、あるいは悪を勧め、あるいはおどし、あるいはすかし、あるいは高僧、あるいは大僧、あるいは智者、あるいは持斎等に成って、あるいは華厳、あるいは阿含、あるいは念仏、あるいは真言等をもって法華経にすすめかえて、仏になさじとたばかり候なり。
法華経第五の巻には、「末法に入っては大鬼神、第一には国王・大臣・万民の身に入って、法華経の行者を、あるいは罵り、あるいは打ち切って、それに叶わずんば、無量無辺の僧と現じて、一切経を引いてすかすべし。それに叶わずんば、二百五十戒・三千の威儀を備えたる大僧と成って、国主をすかし、国母をたぼらかして、あるいはながし、あるいはころしなんどすべし」と説かれて候。
また七の巻の不軽品、また四の巻の法師品、あるいはまた二の巻の譬喩品、あるいは涅槃経四十巻、あるいは守護経等に委細に見えて候が、当時の世間に少しもたがい候わぬ上、駿河国賀島荘は殊に目の前に身にあたらせ給いて覚えさせ給い候らん。他事には似候わず。父母・国主等の法華経を御制止候を用い候わねば、還って父母の孝養となり、国主の祈りとなり候ぞ。
その上、日本国はいみじき国にて候。神を敬い、仏を崇むる国なり。しかれども、日蓮が法華経
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(388)治部房御返事 | 弘安4年(’81)8月22日 | 60歳 | 治部房 |