2026ページ
し、結句なら七大寺にわたされて、十万人の大衆等、我らが仏のかたきなりとて一刀ずつきざみぬ。
悪の中の大悪は、我が身にその苦をうくるのみならず、子と孫と末七代までもかかり候いけるなり。善の中の大善もまたまたかくのごとし。
目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母、仏になり給う。上七代・下七代、上無量生・下無量生の父母等、存外に仏となり給う。乃至代々の子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生、三悪道をはなるるのみならず、皆、初住・妙覚の仏となりぬ。故に、法華経の第三に云わく「願わくはこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我らと衆生と、皆共に仏道を成ぜん」云々。
されば、これらをもって思うに、貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給えり。この僧は無戒なり、無智なり。二百五十戒、一戒も持つことなし。三千の威儀、一つも持たず、智慧は牛馬にるいし、威儀は猿猴ににて候えども、あおぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり。例せば、蛇の珠をにぎり、竜の舎利を戴けるがごとし。藤は松にかかりて千尋をよじ、鶴は羽を持って万里をかける。これは自身の力にはあらず。治部房もまたかくのごとし。我が身は藤のごとくなれども、法華経の松にかかりて妙覚の山にものぼりなん。一乗の羽をたのみて寂光の空をもかけりぬべし。この羽をもって、父母・祖父祖母、乃至七代の末までもとぶらうべき僧なり。あわれ、いみじき御たからはもたせ給いておわします女人かな。
彼の竜女は珠をささげて仏となり給う。この女人は孫を法華経の行者となしてみちびかれさせ給う
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(387)盂蘭盆御書 | 弘安元年(’78)または同2年(’79)の7月13日 | 57歳または58歳 | 治部房の祖母 |