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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

となし、食うことなし。皮はきんちょうをむしれるがごとく、骨はまろき石をならべたるがごとし。頭はまりのごとく、頸はいとのごとし。腹は大海のごとし。口をはり手を合わせて物をこえる形は、うえたるひるの人のかをかげるがごとし。先生の子をみてなかんとするすがた、うえたるかたち、たとえをとるに及ばず。いかんがかなしかりけん。
 法勝寺の執行・俊寛が、いおうの島にながされて、はだかにて、かみくびつきにうちおい、やせおとろえて海へんにやすらいて、もくずをとりてこしにまき、魚を一つみつけて右の手にとり、口にかみける時、本つかいしわらわのたずねゆきて見し時と、目連尊者が母を見しと、いずれかおろかなるべき。かれはいますこしかなしさはまさりけん。
 目連尊者は、あまりのかなしさに大神通をげんじ給い、はんをまいらせたりしかば、母よろこびて右の手にははんをにぎり、左の手にてははんをかくして口におし入れ給いしかば、いかんがしたりけん、はん変じて火となり、やがてもえあがり、とうしびをあつめて火をつけたるがごとく、ぱともえあがり、母の身のごこごことやけ候いしを目連見給いて、あまりあわてさわぎ、大神通を現じて大いなる水をかけ候いしかば、その水たきぎとなりて、いよいよ母の身のやけ候いしことこそ、あわれには候いしか。
 その時、目連、みずからの神通かなわざりしかば、はしりかえり、須臾に仏にまいりてなげき申せしようは、「我が身は外道の家に生まれて候いしが、仏の御弟子になりて阿羅漢の身をえて、三界の生をはなれ、三明六通の羅漢とはなりて候えども、乳母の大苦をすくわんとし候に、かえりて大苦