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して親類より大兵乱おこり、我がかとうどしぬべき者をば皆打ち失って、後には他国にせめられて、あるいは自殺し、あるいはいけどりにせられ、あるいはこう人となるべし。これひとえに、仏法をほろぼし、国をほろぼす故なり。
守護経に云わく「彼の釈迦牟尼如来のあらゆる教法は、一切の天魔・外道・悪人・五通の神仙、皆乃至少分をも破壊せず。しかるに、この名相の諸の悪沙門、みな毀滅して余り有ることなからしむ。須弥山は、たとい三千界の中の草木を尽くして薪となし長時に焚焼すとも、一毫も損ずることなきに、もし劫火起こって火内より生ぜば、須臾に焼滅して灰燼をも余すことなきがごとし」等云々。蓮華面経に云わく「仏、阿難に告げたまわく、譬えば、師子の命終せんに、もしは空、もしは地、もしは水、もしは陸のあらゆる衆生、あえて師子の身の肉を食らわず、ただ師子のみ自ら諸の虫を生じて、自ら師子の肉を食らうがごとし。阿難よ。我が仏法は余の能く壊るにあらず、これ我が法の中の諸の悪比丘、我が三大阿僧祇劫に行を積み勤苦し集むるところの仏法を破らん」等云々。
経文の心は、過去の迦葉仏、釈迦如来の末法のことを訖哩枳王にかたらせ給う。釈迦如来の仏法をばいかなるものかうしなうべき。大族王の五天の堂舎を焼き払い、十六大国の僧尼を殺せし、漢土の武宗皇帝の九国の寺塔四千六百余所を消滅せしめ、僧尼二十六万五百人を還俗せし等のごとくなる悪人等は、釈迦の仏法をば失うべからず。三衣を身にまとい、一鉢を頸にかけ、八万法蔵を胸にうかべ、十二部経を口にずうせん僧侶が、彼の仏法を失うべし。譬えば、須弥山は金の山なり、三千大千世界の草木をもって四天・六欲に充満してつみこめて、一年・二年・百千万億年が間やくとも、一分も損
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(009)撰時抄 | 建治元年(’75) | 54歳 | 西山由比殿 |