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浄土に生まれ給うべし。いみじき果報なるかな。
その上、この処は人倫を離れたる山中なり。東西南北を去って里もなし。かかるいと心細き幽窟なれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば、日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり。舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。
「法妙なるが故に人貴し。人貴きが故に所尊し」と申すはこれなり。神力品に云わく「もしは林中においても、もしは樹の下においても、もしは僧坊においても乃至般涅槃したもう」云々。この砌に望まん輩は、無始の罪障たちまちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。彼の中天竺の無熱池に臨みし悩者が、心中の熱気を除愈して「その願を充満すること、清涼の池のごとし」とうそぶきしも、彼これ異なりといえども、その意はいかでか替わるべき。
彼の月氏の霊鷲山は、本朝この身延の嶺なり。参詣遥かに中絶せり。急々に来臨を企つべし。これにて待ち入って候べし。あわれ、あわれ、申しつくしがたき御志かな、御志かな。
弘安四年九月十一日 日蓮 花押
南条殿御返事
御使いの申し候を承り候。この所労難儀のよし、聞こえ候。いそぎ療治をいたされ候いて御参詣あるべく候。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(340)南条殿御返事(法妙人貴の事) | 弘安4年(’81)9月11日 | 60歳 | 南条時光 |