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者は、明らかなる鏡なにかせん。
この身延の沢と申す処は、甲斐国波木井郷の内の深山なり。西には七面のがれと申すたけあり。東は天子のたけ、南は鷹取のたけ、北は身延のたけ、四山の中に深き谷あり。はこのそこのごとし。峰にははこうの猿の音かまびすし。谷にはたいかいの石多し。しかれども、するがのいものように候石は一つも候わず。いものめずらしきこと、くらき夜のともしびにもすぎ、かわける時の水にもすぎて候いき。いかにめずらしからずとはあそばされて候ぞ。されば、それには多く候か。あらこいし、あらこいし。法華経・釈迦仏にゆずりまいらせ候いぬ。定めて、仏は御志をおさめ給うなれば、御悦び候らん。霊山浄土へまいらせ給いたらん時、御尋ねあるべし。恐々謹言。
建治二年丙子九月十五日 日蓮 花押
九郎太郎殿御返事
(310)
本尊供養御書
建治2年(ʼ76)12月 55歳 南条平七郎
法華経御本尊御供養の御僧膳料の米一駄・蹲鴟一駄、送り給び候い畢わんぬ。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(309)九郎太郎殿御返事(家の芋供養の事) | 建治2年(’76)9月15日 | 55歳 | 九郎太郎〈南条殿の縁者〉 |
(310)本尊供養御書 | 建治2年(’76)12月 | 55歳 | 南条平七郎 |