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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 例せば、南閻浮提八万四千の国々の王々は、その国々にては大王と云う。転輪聖王に対すれば小王と申す。乃至、六欲・四禅の王々は大小に渡る。色界の頂の大梵天王独り大王にして、小の文字をつくることなきがごとし。
 仏は子なり、法華経は父母なり。譬えば、一人の父母に千子有って、一人の父母を讃歎すれば、千子悦びをなす。一人の父母を供養すれば、千子を供養するになりぬ。また法華経を供養する人は、十方の仏菩薩を供養する功徳と同じきなり。十方の諸仏は妙の一字より生じ給える故なり。
 譬えば、一の師子に百子あり。彼の百子、諸の禽獣に犯さるるに、一の師子王吼うれば百子力を得て、諸の禽獣、皆頭七分にわる。
 法華経は師子王のごとし。一切の獣の頂とす。法華経の師子王を持つ女人は、一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るることなし。
 譬えば、女人の一生の間の御罪は諸の乾れ草のごとし。法華経の妙の一字は小火のごとし。小火を衆草につきぬれば、衆草焼け亡ぶるのみならず、大木・大石、皆焼け失せぬ。妙の一字の智火もってかくのごとし。諸罪消ゆるのみならず、衆罪かえりて功徳となる。毒薬変じて甘露となるこれなり。譬えば、黒漆に白物を入れぬれば白色となる。女人の御罪は漆のごとし、南無妙法蓮華経の文字は白物のごとし。人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、その身重きこと千引きの石のごとし。善人は、たとい七尺八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。また軽きこと鵝毛のごとし、軟らかなること兜羅綿のごとし。