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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の第一・第二は、一闡提・謗法の衆生なり。諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり。諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり。
 この一閻浮提は縦広七千由善那、八万の国これ有り。正像二千年の間、いまだ広宣流布せざる法華経を当世に当たって流布せしめずんば、釈尊は大妄語の仏、多宝仏の証明は泡沫に同じく、十方分身の仏の助舌も芭蕉のごとくならん。
 疑って云わく、多宝の証明、十方の助舌、地涌の涌出、これらは誰人のためぞや。
 答えて曰わく、世間の情に云わく、在世のためと。日蓮云わく、舎利弗・目犍等は、現在をもってこれを論ぜば、智慧第一・神通第一の大聖なり。過去をもってこれを論ぜば、金竜陀仏・青竜陀仏なり。未来をもってこれを論ぜば華光如来、霊山をもってこれを論ぜば三惑頓尽の大菩薩、本をもってこれを論ぜば内秘外現の古菩薩なり。文殊・弥勒等の大菩薩は過去の古仏、現在の応生なり。梵帝・日月・四天等は初成已前の大聖なり。その上、前四味・四教、一言にこれを覚りぬ。仏の在世には一人においても無智の者これ無し。誰人の疑いを晴らさんがために多宝仏の証明を借り、諸仏舌を出だし、地涌の菩薩を召さんや。方々もって謂れなきことなり。したがって、経文に「いわんや滅度して後をや」「法をして久しく住せしむ」等云々。これらの経文をもってこれを案ずるに、ひとえに我らがためなり。したがって、天台大師当世を指して云わく「後の五百歳、遠く妙道に沾わん」。伝教大師当世を記して云わく「正像やや過ぎ已わって、末法はなはだ近きに有り」等云々。「末法太有近(末法はなはだ近きに有り)」の五字は、我が世は法華経流布の世にあらずという釈なり。