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者は三世の諸仏にすてられ、六欲天もこれを守ることなし。この由は世間の学者も知れり。日蓮もあらあら意得て候。
ただし、殺生に子細あり。彼の殺さるる者の失に軽重あり。我が父母・主君・我が師匠を殺せる者をかえりて害せば、同じつみなれども、重罪かえりて軽罪となるべし。これ世間の学者知れるところなり。ただし、法華経の御かたきをば、大慈大悲の菩薩も、供養すれば必ず無間地獄に堕つ。五逆の罪人も、彼を怨とすれば必ず人天に生を受く。仙予国王・有徳国王は、五百・無量の法華経のかたきを打って、今は釈迦仏となり給う。その御弟子、迦葉・阿難・舎利弗・目連等の無量の眷属は、彼の時に先を懸け、陣をやぶり、あるいは殺し、あるいは害し、あるいは随喜せし人々なり。覚徳比丘は迦葉仏なり。彼の時にこの王々を勧めて、法華経のかたきをば父母の宿世の叛逆の者のごとくせし大慈大悲の法華経の行者なり。
今の世は彼の世に当たれり。国主、日蓮が申すことを用いるならば、彼がごとくなるべきに、用いざる上、かえりて彼がかとうどとなり、一国こぞりて日蓮をかえりてせむ。上一人より下万民にいたるまで、皆、五逆に過ぎたる謗法の人となりぬ。されば、各々も彼が方ぞかし。心は日蓮に同意なれども、身は別なれば与同罪のがれがたきの御事に候に、主君にこの法門を耳にふれさせ進らせけるこそ、ありがたく候え。今は御用いなくもあれ、殿の御失は脱れ給いぬ。これより後には口をつつみておわすべし。また天も一定殿をば守らせ給うらん。これよりも申すなり。
かまえてかまえて御用心候べし。いよいよにくむ人々ねらい候らん。御さかもり、夜は一向に止
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(197)主君耳入此法門免与同罪事(与同罪を免るるの事) | 文永11年(’74)9月26日 | 53歳 | 四条金吾 |