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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

にて候。これはいかなる修因ぞと申すに、この世にて夜討ち・強盗などをなして候によりて候。食吐餓鬼と申すは、人の口よりはき出だす物を食し候。これも修因、上のごとし。また人の食をうばうにより候。食水餓鬼というは、父母孝養のために手向くる水などを吞む餓鬼なり。有財餓鬼と申すは、馬のひづめの水をのむがきなり。これは今生にて財をおしみ食をかくす故なり。無財がきと申すは、生まれてより以来、飲食の名をもきかざるがきなり。
 食法がきと申すは、出家となりて仏法を弘むる人、我は法を説けば人尊敬するなんど思いて、名聞名利の心をもって人にすぐれんと思って今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくうべき心もなき人を、食法がきとて法をくらうがきと申すなり。
 当世の僧を見るに、人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり。これは「狗犬の僧」と涅槃経に見えたり。これは未来には牛頭という鬼となるべし。また人にしらせて供養をうくるとも、欲心に住して人に施すことなき人もあり。これは未来には馬頭という鬼となり候。また在家の人々も、我が父母、地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをばとぶらわずして、我は衣服・飲食にあきみち、牛馬・眷属充満して、我が心に任せてたのしむ人をば、いかに父母のうらやましく恨み給うらん。僧の中にも父母・師匠の命日をとぶらう人はまれなり。定めて、天の日月、地の地神、いかりいきどおり給いて、不孝の者とおもわせ給うらん。形は人にして畜生のごとし。人頭鹿とも申すべきなり。
 日蓮、この業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしとおもえば、種々の大難雨のごとくふり雲のごとくにわき候えども、法華経の御故なれば、苦をも苦ともおもわず。かかる日蓮が弟子檀那と