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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

第十三は毘羅、第十四は竜樹、第十五は提婆、第十六は羅睺、第十七は僧佉難提、第十八は僧佉耶奢、第十九は鳩摩羅駄、第二十は闍夜那、第二十一は盤駄、第二十二は摩奴羅、第二十三は鶴勒夜奢、第二十四は師子尊者。この二十四人は金口の記するところにして付法蔵経に載す。ただし、小乗・権大乗経の御使いなり。いまだ法華経の御使いにはあらず。
 三論宗云わく「道朗・吉蔵は仏の使いなり」。法相宗云わく「玄奘・慈恩は仏の使いなり」。華厳宗云わく「法蔵・澄観は仏の使いなり」。真言宗云わく「善無畏・金剛智・不空・恵果・弘法等は仏の使いなり」。
 日蓮これを勘えて云わく、全く仏の使いにあらず。全く大小乗の使いにもあらず。これを供養せば災いを招き、これを謗ぜば福を至さん。
 問う。汝の自義か。
 答えて云わく、たとい自義たりといえども、有文有義ならば何の科あらん。しかりといえども、釈有り。伝教大師云わく「なんぞ福を捨てて罪を慕う者ならんや」と云々。「福を捨つ」とは、天台大師を捨つる人なり。「罪を慕う」とは、上に挙ぐるところの法相・三論・華厳・真言の元祖等なり。彼の諸師を捨てて一向に天台大師を供養する人の、その福を今申すべし。
 三千大千世界と申すは、東西南北・一須弥山・六欲・梵天を一四天下となづく。百億の須弥山・四州等を小千と云う。小千の千を中千と云う。中千の千を大千と申す。この三千大千世界を一つにして、四百万億那由他国の六道の衆生を八十年やしない、法華経より外の已今当の一切経を一々の衆生に読