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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 これらの諸文は法華経の「已今当」の三字に相似せる文なり。しかりといえども、あるいは梵帝・四天等の諸経に対当すればこれ諸経の王なり。あるいは小乗経に相対すれば諸経の中の王なり。あるいは華厳・勝鬘等の経に相対すれば一切経の中に勝れたり。全く五十余年の大小・権実・顕密の諸経に相対してこれ諸経の王の大王なるにあらず。詮ずるところは、所対を見て経々の勝劣を弁うべきなり。強敵を臥せ伏して始めて大力を知見すとはこれなり。
 その上、諸経の勝劣は、釈尊一仏の浅深なり、全く多宝・分身助言を加うるにあらず。私説をもって公事に混ずることなかれ。
 諸経は、あるいは二乗・凡夫に対揚して小乗経を演説し、あるいは文殊・解脱月・金剛薩埵等に対向す。弘伝の菩薩は、全く地涌千界の上行等にはあらず。
 今、法華経と諸経とを相対するに、一代に超過すること二十種これ有り。その中、最要二つ有り。いわゆる三・五の二法なり。
 三とは三千塵点劫なり。諸経はあるいは釈尊の因位を明かすこと、あるいは三祇、あるいは動逾塵劫、あるいは無量劫なり。梵王云わく、この土には、二十九劫より已来、知行の主なり。第六天・帝釈・四天王等も、もってかくのごとし。釈尊と梵王等と、始めは知行の先後これを諍論す。しかりといえども、一指を挙げてこれを降伏してより已来、梵天頭を傾け魔王掌を合わせ、三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる、これなり。
 また諸仏の因位と釈尊の因位とこれを糾明するに、諸仏の因位は、あるいは三祇、あるいは五劫等