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土木殿御返事(越州嫡男ならびに妻尼の事)
文永10年(ʼ73)11月3日 52歳 富木常忍
九月九日の鴈鳥、同十月二十七日飛来仕り候い了わんぬ。
そもそも、越州の嫡男ならびに妻尼の御事、是非を知らざれども、この御一門の御事なれば、謀反よりの外は異島流罪は過分のことか。
はたまた、四条三郎左衛門尉殿の便風、今に参り付かざるの条、何事ぞや。定めて三郎左衛門尉殿より申す旨候か。
伊予殿のこと、存外に性情智者なり。当時、学問隙無く仕り候なり。褒美にあらず、実に器量者なり。来年正月、大進阿闍梨と越中にこれを遣わし去るべし。
白小袖一つ給び候い了わんぬ。今年、日本国一同に飢渇の上、佐渡国には七月七日已下、天よりたちまちに石灰虫と申す虫、雨下り、一時に稲穀損失し、その上、疫々処々に遍満し、方々死難脱れ難きか。事々紙上に尽くし難く候。恐々謹言。
十一月三日 日蓮 花押
土木殿御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(126)土木殿御返事(越州嫡男ならびに妻尼の事) | 文永10年(’73)11月3日 | 52歳 | 富木常忍 |