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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(125)

土木殿御返事(経文符合の事)

 文永10年(ʼ73)7月6日 52歳 富木常忍

 鵝目二貫、給び候い了わんぬ。太田殿とそれと、二人の御心か。
 伊予殿は器量物にて候ぞ。今年留め候い了わんぬ。
 御勘気ゆりぬこと、御歎き候べからず候。当世日本国、子細有るべきの由、これを存ず。定めて勘文のごとく候べきか。
 たとい、日蓮、死生不定たりといえども、妙法蓮華経の五字の流布は疑いなきものか。伝教大師は御本意の円宗を日本に弘めんとす。ただし、定・慧は存生にこれを弘め、円戒は死後にこれを顕す。事相たる故に一重の大難これ有るか。
 仏の滅後二千二百二十余年、今に寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず。当時、果報を論ずれば、恐らくは、伝教・天台にも超え、竜樹・天親にも勝れたるか。
 文理無くんば、大慢あにこれに過ぎんや。章安大師、天台を褒めて云わく「天竺の大論すら、なおその類いにあらず。真旦の人師、何ぞ労わしく語るに及ばん。これは誇耀にあらず。法相のしからしむるのみ」等云々。日蓮、またまたかくのごとし。竜樹・天親等すら、なおその類いにあらず等云々。