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斯の仙人堕処の施鹿林の中に在して、ただ声聞乗を発趣する者のためにのみ、四諦の相をもって正法輪を転じたまいき。これはなはだ奇、はなはだこれ希有にして、一切世間の諸の天人等、先より能く法のごとく転ずる者有ることなしといえども、彼の時において転じたもうところの法輪は有上なり、有容なり、これいまだ了義ならず、これ諸の諍論安足の処所なり。世尊、在昔第二時の中に、ただ発趣して大乗を修する者のためにのみ、一切の法は皆無自性・無生無滅・本来寂静・自性涅槃なるによって、隠密の相をもって正法輪を転じたまいき。さらにはなはだ奇にして、はなはだこれ希有なりといえども、彼の時において転じたもうところの法輪、またこれ有上なり、容受するところあり、なおいまだ了義ならず、これ諸の諍論安足の処所なり。世尊、今第三時の中において、あまねく一切乗を発趣する者のために、一切の法は皆無自性・無生無滅・本来寂静・自性涅槃にして無自性の性なるによって、顕了の相をもって正法輪を転じたもう。第一はなはだ奇にして、最もこれ希有なり。今世尊転じたもうところの法輪、無上・無容にして、これ真の了義なり。諸の諍論安足の処所にあらず』と」等云々。
大般若経に云わく「聴聞するところの世・出世の法に随って、皆能く方便もて般若甚深の理趣に会入し、諸の造作するところの世間の事業もまた般若をもって法性に会入し、一事として法性を出ずる者を見ず」等云々。
大日経第一に云わく「秘密主よ。大乗行あり。無縁乗の心を発す。法に我性無し。何をもっての故に。彼の往昔かくのごとく修行せし者のごとく、薀の阿頼耶を観察して、自性は幻のごとしと知る」
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |