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また六宗の碩徳たる勤操・修円・玄耀等の十四人、桓武皇帝に謝表を奉って邪見を翻す
弘法大師〈空海〉は延暦二十三年、御入宋。大同元年、御帰朝
伝教大師は山階寺の行表僧正の御弟子、弘法大師は石淵の勤操僧正の御弟子なり
第五十一 平城
第五十二 嵯峨 弘仁十三年六月四日、伝教大師御入滅。同十一日、戒壇を立つ
第五十三 淳和
衆
秀句に云わく「法華経を讃むといえども、還って法華の心を死す」文
選択集〈法然造〉に云わく「捨閉閣抛」
善導、礼讃に云わく「十は即ち十生じ、百は即ち百生ず」
また云わく「百の時に希に一・二を得、千の時に希に三・五を得」
また云わく「千の中に一りも無し」
道綽、安楽集に云わく〈大集月蔵経を引く〉「『我が末法の時の中の億々の衆生、行を起こし道を修するも、いまだ一人も得る者有らず』と。当今末法はこれ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみ有って通入
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(090)和漢王代記 |