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第四十六 孝謙 聖武の女
第四十七 淡路 廃帝
第四十八 称徳 孝謙また即位するなり
第四十九 光仁 桓武の父なり
欽明より二百六十余年に及ぶ
延暦三年、奈良の都より長岡京に遷る
延暦十三年、長岡京より平京に遷る
延暦二十五年、御崩去
第五十 桓武 延暦四年、叡山を立つ 伝教大師
最澄なり
延暦二十年、叡山に八講を始め、南京の十人を請ず
延暦二十一年の正月十九日、高雄において南京の十四人と最澄と宗論あり。
同二十九日、六宗の十四人、謝表を桓武聖主に奉る
延暦二十三年、入宋。同二十四年、御帰朝
この御時、始めて伝教大師、天台宗を立て「四十余年」の文をもって六宗を破り、始めて法華の実義これを顕し、欽明より二百余年の邪義これを改む
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(090)和漢王代記 |