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に非をかさね、結句は国主に讒奏して命に及ぶべし。ただし、我らが慈父、双林最後の御遺言に云わく「法に依って人に依らざれ」等云々。「人に依らざれ」等とは、初依・二依・三依・第四依、普賢・文殊等の等覚の菩薩、法門を説き給うとも、経を手ににぎらざらんをば用いるべからず。「了義経に依って不了義経に依らざれ」と定めて、経の中にも了義・不了義経を糾明して信受すべきこそ候いぬれ。竜樹菩薩の十住毘婆沙論に云わく「修多羅に依らざるは黒論なり。修多羅に依るは白論なり」等云々。天台大師云わく「修多羅と合わば、録してこれを用いる。文無く義無ければ信受すべからず」等云々。伝教大師云わく「仏説に依憑せよ。口伝を信ずることなかれ」等云々。円珍智証大師云わく「文に依って伝うべし」等云々。
上にあぐるところの諸師の釈、皆一分一分、経論に依って勝劣を弁うるようなれども、皆自宗を堅く信受し先師の謬義をたださざるゆえに、「曲げて私情に会す」の勝劣なり、「己義を荘厳す」の法門なり。仏の滅後の犢子・方広、後漢已後の外典は、仏法外の外道の見よりも、三皇五帝の儒書よりも、邪見強盛なり、邪法巧みなり。華厳・法相・真言等の人師、天台宗の正義を嫉むゆえに、実経の文を会して権義に順ぜしむること強盛なり。しかれども、道心あらん人、偏党をすて、自他宗をあらそわず、人をあなずることなかれ。
法華経に云わく「已今当」等云々。妙楽云わく「たとい経有って『諸経の王なり』と云うとも、『已今当の説に最もこれ第一なり』とは云わず」等云々。また云わく「已今当の妙、ここにおいて固く迷えり。謗法の罪は、苦長劫に流る」等云々。この経釈におどろいて、一切経ならびに人師の疏釈を見
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |