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宝幢院
横川
観音堂 慈覚の建立
楞厳院
〔日本国の仏神の座席のこと〕
問う。吾が朝には、いずれの仏をもって一の座となし、いずれの法をもって一の座となし、いずれの僧をもって一の座となすや。
答う。観世音菩薩をもって一の座となし、真言の法をもって一の座となし、東寺の僧をもって一の座となすなり。
問う。日本には人王三十代に仏法渡り始めて後は、山寺種々なりといえども、延暦寺をもって天子本命の道場と定め、鎮護国家の道場と定む。しかして、日本最初の本尊、釈迦を一の座となす。しからずんば、延暦寺の薬師をもって一の座となすか。また代々の帝王、起請を書いて山の弟子とならんと定め給う。故に、法華経をもって法の一の座となし、延暦寺の僧をもって一の座となすべし。何ぞ、仏を本尊とせず、菩薩をもって諸仏の一の座となすや。
答う。もっともしかるべしといえども、慈覚の御時、叡山は真言になる。東寺は弘法の真言を建立す。故に、共に真言師なり。共に真言師なるが故に、東寺を本として真言を崇む。真言を崇むる故に、観音をもって本尊とす。真言には菩薩をば仏にまされりと談ずるなり。故に、内裏に毎年正月八日、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(088)真言七重勝劣事 |