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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

は秘密の法にあらず。しかるに、法華等の諸経は阿羅漢の受決作仏を説く。大菩薩能く受用す。譬えば、大薬師の能く毒をもって薬となすがごとし」等云々。
 玄義の六に云わく「譬えば、良医の能く毒を変じて薬となすがごとし。二乗の根敗、反復すること能わず。これを名づけて毒となす。今経に記を得るは、即ちこれ毒を変じて薬となす。故に、論に云わく『余経は秘密にあらず、法華を秘密となす』。また本地の所説有り。諸経に無きところなり。後に在って当に広く明かすべし」云々。籤の六に云わく「第四に引証の中に『論に云わく』等と言うは、大論の文証なり。『秘密』と言うは、八教の中の秘密にはあらず。ただこれ前にいまだ説かざるところを秘となし、開し已われば外無きを密となす」文。文句の八に云わく「方等・般若には実相の蔵を説くといえども、またいまだ五乗の作仏を説かず。またいまだ発迹顕本せず。頓・漸の諸経は、皆いまだ融会せず。故に名づけて秘となす」文。記の八に云わく「大論に云わく『法華はこれ秘密なれば諸の菩薩に付す』。今の下の文のごときは、下方を召してなお本眷属を待つ。験らけし、余はいまだ堪えざること」云々。秀句の下に竜女の成仏を釈して「身口密なり」と云えり云々。
 これらの経論釈は、分明に法華経を諸仏は最第一と説き秘密教と定め給えるを、経論に文証も無き妄語を吐き、法華を顕教と名づけてこれを下し、これを謗ず。あに大謗法にあらずや。
 そもそも、唐朝の善無畏・金剛智等、法華経と大日経の両経に理同事勝の釈を作るは、梵華両国共に勝劣か。法華経も天竺には十六里の宝蔵に有れば無量のこと有れども、流沙・葱嶺等の険難、五万八千里・十万里の路次容易ならざるあいだ、枝葉をばこれを略せり。これらはしかしながら訳者の意