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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

べくんば、文殊の智慧・富楼那の弁説、一分も無益なり。無間に堕つる程の邪法の行人にて国家を祈禱せんに、はた善事を成すべきや。顕密対判の釈は、しばらくこれを置く。華厳に法華劣るということ、能く能く思惟すべきなり。
 華厳経〈四十華厳なり〉の十二に云わく「また彼の修するところの一切の功徳の六分の一、常に王に属す○かくのごとく修を障えおよび不善を造るに、あらゆる罪業の六分の一、還って王に属す」文。六波羅蜜経の六に云わく「もし王の境内に殺を犯す者有れば、その王便ち第六分の罪を獲ん。偸盗・邪行および妄語もまたかくのごとし。何をもっての故に。もしは法も非法も王を根本となせば、罪においても福においても第六の一分は皆王に属すればなり」云々。最勝王経に云わく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、他方の怨賊来って、国人喪乱に遭わん」等云々。大集経に云わく「もしまた、諸の刹利国王にして諸の非法を作し、世尊の声聞の弟子を悩乱し、もしはもって毀罵し、刀杖もて打斫し、および衣鉢・種々の資具を奪い、もしは他の給施に留難を作す者有らば、我らは彼をして自然に卒かに他方の怨敵を起こさしめ、および自らの国土にもまた兵起・疫病・饑饉・非時の風雨・闘諍言訟あらしめ、またその王をして久しからずしてまた当に己が国を亡失すべからしむ」云々。大三界義に云わく「その時に、諸人共に聚まって、衆の内に一りの有徳の人を立て、名づけて田主となして、各収むるところの物の六分の一をもって、もって田主に貢輸す。一人をもって主となし、政法をもってこれを治む。これによって、以後、刹利種を立て、大衆は欽仰して、恩率土に流る。また大三末多王と名づく」〈已上、俱舎に依りこれを出だすなり〉。