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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 この釈のごとくんば、天台已前五百余年の人師・三蔵等の法華経による者、一念三千の名目を立てざるか。
 問うて云わく、華厳宗は一念三千の義を用いるや〈華厳宗は唐の則天皇后の御宇にこれを立つ〉。
 答えて云わく、澄観〈清涼国師〉の疏の三十三に云わく「止観の第五に十法成乗を明かす中の第二に『真正発菩提心』○釈して曰わく、しかもこの経の上下の発心の義は、文理淵博にして、その撮略を見る。故に、取ってこれを用い、引いてこれを証す」と。二十九に云わく「法華経に云わく『ただ仏と仏とのみ』等と。天台云わく○『便ち三千世間を成ず』。彼の宗にはこれをもって実となす○一家の意、理として通ぜざることなし」文。
 華厳経に云わく〈旧訳には、功徳林菩薩これを説くと。新訳には、覚林菩薩これを説くと。弘決には、如来林菩薩と引けり〉「心は工みなる画師の種々の五陰を画くがごとく、一切世間の中に法として造らざることなし。心のごとく仏もまたしかなり。仏のごとく衆生もしかなり。心、仏および衆生、この三つは差別無し。もし人、三世の一切の仏を知らんと欲求せば、応当にかくのごとく観ずべし、心は諸の如来を造ると」。
 法華経に云わく〈これは略開三の文なり。仏の自説なり〉「いわゆる諸法の、如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり」。また云わく「ただ一大事の因縁をもっての故に、世に出現したもう。諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」。
 蓮華三昧経に云わく「本覚心・法身の、常に妙法の心蓮台に住して、本来三身の徳を具足し、三十七尊〈金剛界の三十七尊なり〉心城に住したまえるに帰命したてまつる。心王の大日遍照尊も、心数の恒