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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 問うて云わく、大日経の疏に云わく「大日如来は無始無終なり」。遥かに五百塵点に勝れたり、いかん。
 答う。毘盧遮那の無始無終なること、華厳・浄名・般若等の諸大乗経にこれを説く。独り大日経のみにあらず。
 問うて云わく、もししからば、五百塵点は際限あれば有始有終なり。無始無終は際限なし。しからば則ち法華経は諸経に破せらるるか、いかん。
 答えて云わく、他宗の人はこの義を存す。天台一家において、この難を会通する者有り難きか。今、大日経ならびに諸大乗経の無始無終は、法身の無始無終なり。三身の無始無終にあらず。法華経の五百塵点は、諸大乗経の破せざる伽耶の始成これを破したる五百塵点なり。大日経等の諸大乗経には全くこの義無し。
 宝塔の涌現、地涌の涌出、弥勒の疑い、寿量品の初めの三誡四請、弥勒菩薩領解の文に「仏は希有の法を説きたもう。昔よりいまだかつて聞かざるところなり」等の文これなり。大日経六巻ならびに供養法の巻、金剛頂経、蘇悉地経等の諸の真言部の経の中には、いまだ三止四請、三誡四請、二乗の劫・国・名号、難信難解等の文を見ず。
 問うて云わく、五乗の真言、いかん。
 答う。いまだ二乗の真言を知らず。四諦・十二因縁の梵語のみ有るなり。また法身平等に会することあらんや。