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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 そもそも天台真言宗の立つるところの理同事勝に二難有り。
 一には法華経と大日経と理同の義、その文、全くこれ無し。法華経と大日経と先後いかん。既に義釈に二経の前後これを定め畢わって、法華経は先、大日経は後なりと云えり。もししからば、大日経は法華経の重説なり、流通なり。一法を両度これを説くが故なり。もし所立のごとくんば、法華経の理を重ねてこれを説くを大日経と云う。しからば則ち、法華経と大日経と敵論の時は、大日経の理これを奪って法華経に付くべし。ただし、大日経の得分は、ただ印・真言ばかりなり。印契は身業、真言は口業なり。身・口のみにして意無くんば、印・真言有るべからず。手・口等を奪って法華経に付け、手無くして印を結び、口無くして真言を誦せば、虚空に印・真言を誦結すべきか、いかん。
 裸形の猛者と甲冑を帯せる猛者との譬えのこと。裸形の猛者の進んで大陣を破ると、甲冑を帯せる猛者の退いて一陣をも破らざるとは、いずれか勝るるや。また猛者は法華経なり、甲冑は大日経なり。猛者無くんば、甲冑何の詮かこれ有らん。これは理同の義を難ずるなり。
 次に、事勝の義を難ぜば、「法華経には印・真言無く、大日経には印・真言これ有り」云々。印契・真言の有無に付いて二経の勝劣を定むるに、大日経に印・真言有って法華経にこれ無き故に劣ると云わば、阿含経には世界建立、賢聖の地位これ分明なり。大日経にはこれ無し。彼の経に有ることがこの経に無きをもって勝劣を判ぜば、大日経は阿含経より劣るか。双観経等には四十八願これ分明なり。大日経にはこれ無し。般若経には十八空これ分明なり。大日経にはこれ無し。これらの諸経に劣ると云うべきか。