がごとくおもいて、うらみて云わく「瞿曇は仏陀にはあらず。我は斛飯王の嫡子、阿難尊者が兄、瞿曇が一類なり。いかにあしきことありとも、内々教訓すべし。これら程の人天大会に、これ程の大禍を現に向かって申すもの、大人・仏陀の中にあるべしや。されば、先々は妻のかたき、今は一座のかたき、今日よりは生々世々に大怨敵となるべし」と誓いしぞかし。
これをもって思うに、今諸の大声聞は、本、外道・婆羅門の家より出でたり。また諸の外道の長者なりしかば、諸王に帰依せられ、諸の檀那にたっとまる。あるいは種姓高貴の人もあり、あるいは富福充満のやからもあり。しかるに、彼々の栄官等をうちすて、慢心の幢を倒して、俗服を脱ぎ壊色の糞衣を身にまとい、白払・弓箭等をうちすてて一鉢を手ににぎり、貧人・乞丐なんどのごとくして世尊につき奉り、風雨を防ぐ宅もなく、身命をつぐ衣食乏少なりしありさまなるに、五天四海、皆外道の弟子檀那なれば、仏すら九横の大難にあい給う。いわゆる、提婆が大石をとばせし、阿闍世王の酔象を放ちし、阿耆多王の馬麦、婆羅門城のこんず、せんしゃ婆羅門女が鉢を腹にふせし。いかにいわんや、所化の弟子の数難申すばかりなし。無量の釈子は波瑠璃王に殺され、千万の眷属は酔象にふまれ、華色比丘尼は提婆にがいせられ、迦盧提尊者は馬糞にうずまれ、目揵尊者は竹杖にがいせらる。
その上、六師同心して阿闍世・婆斯匿王等に讒奏して云わく「瞿曇は閻浮第一の大悪人なり。彼がいたる処は三災七難を前とす。大海の衆流をあつめ、大山の衆木をあつめたるがごとし。瞿曇がところには衆悪をあつめたり。いわゆる迦葉・舎利弗・目連・須菩提等なり。人身を受けたる者は忠孝を先とすべし。彼らは瞿曇にすかされて、父母の教訓をも用いず家をいで、王法の宣をもそむいて山
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |