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えまいらする色なりとも、法華経をだにも信仰したる行者ならば、すて給うべからず。譬えば、幼稚の父母をのる、父母これをすつるや。梟鳥母を食らう、母これをすてず。破鏡父をがいす、父これにしたがう。畜生すら、なおかくのごとし。大聖、法華経の行者を捨つべしや。
されば、四大声聞の領解の文に云わく「我らは今、真にこれ声聞なり。仏道の声をもって、一切をして聞かしめん。我らは今、真に阿羅漢なり。諸の世間、天・人・魔・梵において、あまねくその中において、応に供養を受くべし。世尊は大恩まします。希有の事をもって、憐愍・教化して、我らを利益したもう。無量億劫にも、誰か能く報ずる者あらん。手足もて供給し、頭頂もて礼敬し、一切もて供養すとも、皆報ずること能わじ。もしもって頂戴し、両肩に荷負して、恒沙劫において、心を尽くして恭敬し、また美膳・無量の宝衣および諸の臥具、種々の湯薬をもってし、牛頭栴檀および諸の珍宝、もって塔廟を起て、宝衣を地に布き、かくのごとき等の事、もって供養すること恒沙劫においてすとも、また報ずること能わじ」等云々。
諸の声聞等は、前四味の経々にいくそばくぞの呵責を蒙り、人天大会の中にして恥辱がましきこと、その数をしらず。しかれば、迦葉尊者の渧泣の音は三千をひびかし、須菩提尊者は茫然として手の一鉢をすつ。舎利弗は飯食をはき、富楼那は画瓶に糞を入ると嫌わる。世尊、鹿野苑にしては阿含経を讃歎し、二百五十戒を師とせよなんど慇懃にほめさせ給いて、今またいつのまに我が所説をばこうはそしらせ給うと、二言相違の失とも申しぬべし。
例せば、世尊、提婆達多を「汝愚人、人の唾を食らう」と罵詈せさせ給いしかば、毒箭の胸に入る
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |