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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(050)

諫暁八幡抄

 弘安3年(ʼ80)12月 59歳

 夫れ、馬は、一歳二歳の時は、たといつがいのび、まろすねにすねほそく、うでのびて候えども、病あるべしとも見えず。しかれども、七・八歳なんどになりて、身もこえ、血ふとく、上かち下おくれ候えば、小船に大石をつめるがごとく、小さき木に大いなる菓のなれるがごとく、多くのやまい出来して、人の用にもあわず、力もよわく、寿もみじかし。天神等も、またかくのごとし。成劫の始めには、先生の果報いみじき衆生生まれ来る上、人の悪も候わねば、身の光もあざやかに、心もいさぎよく、日月のごとくあざやかに、師子・象のいさみをなして候いしほどに、成劫ようやくすぎて住劫になるままに、前の天神等は年かさなりて下旬の月のごとし。今生まれ来れる天神は果報衰減し、下劣の衆生多分は出来す。しかるあいだ、一天に三災ようやくおこり、四海に七難ほぼ出現せしかば、一切衆生始めて苦と楽とをおもい知る。
 この時、仏出現し給いて、仏教と申す薬を天と人と神とにあたえ給いしかば、灯に油をそえ、老人に杖をあたえたるがごとく、天神等還って威光をまし、勢力を増長せしこと成劫のごとし。
 仏教にまた五味のあじわい分かれたり。在世の衆生は、成劫ほどこそなかりしかども、果報いとう