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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

識・律業・成俱の二論等の能所の教理、いかでかこの四つに過ぎん。もし過ぐと言わば、あに外邪にあらずや。もし出でずと言わば、便ち他の所期〈即ち四乗の果なり〉を問得せよ。しかして後に答えに随って極理を推ね徴めよ。我が四教の行相をもって並べ検えて彼の所期の果を決定せよ。もし我と違わば、随って即ちこれを詰めよ。しばらく華厳の五教のごときは、各々に修因向果有り。初・中・後の行、一ならず。一教一果合にこれ所期なるべし。もし蔵・通・別・円の因と果とにあらずんば、これ仏教ならざるのみ。三種法輪、三時教等、中に就いて定むべし。汝、何者をもってか所期の乗となすや。もし仏乗なりと言わば、いまだ成仏の観行を見ず。もし菩薩なりと言わば、これまた即・離の中道の異あるなり。汝、正しくいずれを取るや。もし離の辺を取らば、果として成ずべき無し。もし即是を要とせば、仏に例してこれを難ぜよ。謬って真言を誦すとも三観一心の妙趣を会せずんば、恐らくは別人に同じて妙理を証せじ。ゆえに、他の所期の極を逐って、理〈我が宗の理なり〉に準じて徴むべし。因明の道理は外道と対す。多くは小乗および別教に在り。もし法華・華厳・涅槃等の経に望めば接引門なり。権に機に対して設けたり。終にはもって引進するなり。邪小の徒をして会して真理に至らしむるなり。ゆえに、論ずる時は、四依撃目の志を存してこれに執著することなかれ。また、すべからく他の義をもって自義に対検して、随って是非を決すべし。執してこれを怨むことなかれ〈大底、他は多く三教に在り、円旨至って少なきのみ〉」。先徳大師の所判かくのごとし。諸宗の所立、鏡に懸けて陰り無し。末代の学者、何ぞ、これを見ずして、みだりに教門を判ぜんや。
 大綱の三教を能く能く学すべし。頓と漸と円との三教なり。これ一代聖教の総の三諦なり。頓と漸