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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

珠と光と宝との三徳はただ一つの珠の徳なるがごとく、片時も相離れず、仏法に不足無し、一生の中に仏に成るべしと慶喜の念を増すなり。「根本の惑を断ず」とは、一念無明の眠りを覚まして本覚の寤に還れば、生死も涅槃もともに昨日の夢のごとく跡形も無きなり。「変易の生を損ず」とは、同居土の極楽と方便土の極楽と実報土の極楽との三土に往生せる人、彼の土にて菩薩の道を修行して仏に成らんと欲するのあいだ、因は移り果は易って次第に進み昇り、劫数を経て成仏の遠きを待つを変易の生死と云うなり。下位を捨つるをば死と云い、上位に進むをば生と云う。かくのごとき変易の生死は、浄土の苦悩にてあるなり。ここに凡夫の我ら、この穢土において法華を修行すれば、十界互具して法界一如なれば、浄土の菩薩の変易の生は損じ仏道の行は増して、変易の生死を一生の中に促めて仏道を成ず。故に、生身および生身得忍の両種の菩薩、道を増し生を損ずるなり。「法身の菩薩」とは生身を捨てて実報土に居するなり。「後心の菩薩」とは等覚の菩薩なり。ただし、迹門には生身および生身得忍の菩薩を利益するなり。本門には法身と後身との菩薩を利益す。ただし、今は迹門を開し本門に摂めて一つの妙法と成す。故に、凡夫の我らの穢土の修行の行力をもって浄土の十地・等覚の菩薩を利益する行なるが故に、化の功広大なり〈化他の徳用〉。「利潤弘深」とは〈自行の徳用〉、円頓の行者は自行と化他と一法をも漏らさず一念に具足して、横に十方法界に遍するが故に弘きなり、竪には三世に亘って法性の淵底を極むるが故に深きなり。この経の自行の力用かくのごとし。
 化他の諸経は自行を具せざれば、鳥の片翼をもっては空を飛ばざるがごとし。故に、成仏の人も無し。今、法華経は自行・化他の二行を開会して不足無きが故に、鳥の二つの翼をもって飛ぶに障り無