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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

とき貴き法華経をばきかずと云える、これらの明文をば、いかが心えて世間の人は法華経と余経と等しく思い、あまつさえ「機に叶わねば闇の夜の錦、こぞの暦」なんど云いて、たまたま持つ人を見ては、賤しみ、軽しめ、悪み、嫉み、口をすくめなんどする、これしかしながら謗法なり。いかでか往生・成仏もあるべきや。必ず無間地獄に堕つべき者と見えたり。
 問うて云わく、およそ仏法を能く心得て仏意に叶える人をば世間にこれを重んじ一切これを貴む。しかるに、当世法華経を持つ人々をば、世こぞって悪み、嫉み、軽しめ、賤しみ、あるいは所を追い出だし、あるいは流罪し、供養をなすまでは思いもよらず、怨敵のようににくまるるは、いかさまにも心わろくして仏意にもかなわずひがさまに法を心得たるなるべし。経文にはいかんが説きたるや。
 答えて云わく、経文のごとくならば、末法の法華経の行者は人に悪まるる程に持つを実の大乗の僧とす。また経を弘めて人を利益する法師なり。人に吉しと思われ、人の心に随って貴しと思われん僧をば、法華経のかたき、世間の悪知識なりと思うべし。この人を経文には、「猟師の目を細めにして鹿をねらい、猫の爪を隠して鼠をねらうがごとくにして、在家の俗男・俗女の檀那をへつらい、いつわり、たぼらかすべし」と説き給えり。
 その上、勧持品には法華経の敵人三類を挙げられたるに、一には在家の俗男・俗女なり。この俗男・俗女は法華経の行者を憎み、罵り、打ちはり、きり殺し、所を追い出だし、あるいは上へ讒奏して遠流し、なさけなくあだむ者なり。二には出家の人なり。この人は慢心高くして、内心には物も知らざれども、智者げにもてなして世間の人に学匠と思われて、法華経の行者を見ては怨み、嫉み、軽しめ、