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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 譬えば、民の女に王の種を下ろせるを、人しらずして民の子と思い、大臣等の女に王の種を下ろせるを、人しらずして臣下の子と思えども、大王よりこれを尋ぬれば、皆、王種となるべし。爾前にして界外へ至る人を、法華経よりこれを尋ぬれば、皆、法華経の得道なるべし。また、過去に法華経の種を殖えたる人の、根鈍にして爾前の経々に発得せざる人々は、法華経にいたりて得道なる。これは爾前の経々をばめのととして、きさき腹の太子・王子と云うがごとくなるべし。
 また仏の滅後にも、正法一千年が間は、在世のごとくこそなけれども、過去に法華経の種を殖えて法華・涅槃経にて覚りのこせる者、現在在世にて種を下ろせる人々もこれ多し。また滅後なれども、現に法華経ましませば、外道の法より小乗経にうつり、小乗経より権大乗にうつり、権大乗より法華経にうつる人々数をしらず。竜樹菩薩・無著菩薩・世親論師等これなり。
 像法一千年には、正法のほどこそ無けれども、また過去・現在に法華経の種を殖えたる人々も少々これ有り。しかるを、漸々に仏法澆薄になるほどに、宗々も偏執石のごとくかたく、我慢山のごとく高し。像法の末に成りぬれば、仏法によって諍論興盛して、仏法の合戦ひまなし。世間の罪よりも仏法の失によって無間地獄に堕つる者数をしらず。
 今はまた、末法に入って二百余歳、過去・現在に法華経の種を殖えたりし人々もようやくつきはてぬ。また種をうえたる人々は少々あるらめども、世間の大悪人・出世の謗法の者、数をしらず国に充満せり。譬えば、大火の中の小水、大水の中の小火、大海の中の水、大地の中の金なんどのごとく、悪業とのみなりぬ。また過去の善業もなきがごとく、現在の善業もしるしなし。あるいは弥陀の名号