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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

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小乗大乗分別抄

 文永10年(ʼ73)* (富木常忍)

 夫れ、小大定めなし。一寸の物を一尺の物に対しては小と云い、五尺の男に対しては六尺七尺の男を大の男と云う。外道の法に対しては一切の大小の仏教を皆大乗と云う。「『大法東漸してより』とは、通じて仏教を指して、もって大法となす」等と釈する、これなり。仏教に入っても、鹿苑十二年の説、四阿含経等の一切の小乗経をば、諸大乗経に対して小乗経と名づけたり。また諸大乗経には、大乗の中にとりて劣る教を小乗と云う。華厳の大乗経に、「その余の小法を楽えるもの」と申す文あり。天台大師は、「この『小法』というは常の小乗経にはあらず。十地の大法に対して、十住・十行・十回向の大法を下して小法と名づく」と釈し給えり。
 また法華経第一の巻の方便品に、「もし小乗をもって乃至一人をも化せば」と申す文あり。天台・妙楽は、阿含経を小乗というのみにあらず、華厳経の別教、方等・般若経の通・別の大乗をも小乗と定む。また玄義の第一に、「小を会して大に帰せば、これ漸・頓、泯合す」と申す釈をば、智証大師は「始め華厳経より終わり般若経にいたるまでの四教八教の権実の諸大乗経を、『漸・頓』と釈す。『泯合』と云うは、八教を会して一大円教に合す」とこそ、ことわられて候え。