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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 しかして後、正宗の法華に至って、「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」と説き給いしを始めとして、「二無くまた三無し。仏の方便の説を除く」「正直に方便を捨つ」「乃至、余経の一偈をも受けざれ」と禁め給えり。
 これより已後は、「ただ一仏乗のみ有り」の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて、法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじきに、末法の今の学者、「いずれも如来の説教なれば、皆得道あるべし」と思って、あるいは真言、あるいは念仏、あるいは禅宗・三論・法相・俱舎・成実・律等の諸宗・諸経を取り取りに信ずるなり。かくのごとき人をば、「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん」と定め給えり。
 これらのおきての明鏡を本として一分もたがえず「ただ一乗の法のみ有り」と信ずるを、如説修行の人とは、仏は定めさせ給えり。
 難じて云わく、さように方便権教たる諸経・諸仏を信ずるを法華経と云わばこそ、ただ一経に限って、経文のごとく五種の修行をこらし、安楽行品のごとく修行せんは、如説修行の者とは云われ候まじきか、いかん。
 答えて云わく、およそ仏法を修行せん者は、摂折二門を知るべきなり。一切の経論、この二つを出でざるなり。されば、国中の諸学者等、仏法をあらあら学すといえども、時刻相応の道をしらず。
 四節・四季取り取りに替われり。夏は熱く、冬はつめたく、春は花さき、秋は菓なる。春種子を下ろして秋菓を取るべし。秋種子を下ろして春菓を取らんに、あに取らるべけんや。極寒の時は厚き衣