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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 五月二十一日、武蔵守殿は海道より上洛し、甲斐源氏は山道を上る。式部殿は北陸道を上り給う。六月五日、大津をかたむる手、甲斐源氏に破られ畢わんぬ。同六月十三日十四日、宇治橋の合戦、同十四日に京方破られ畢わんぬ。同十五日に武蔵守殿、六条へ入り給う。諸人入り畢わんぬ。七月十一日に本院は隠岐国へ流され給い、中院は阿波国へ流され給い、第三院は佐渡国へ流され給う。殿上人七人、誅殺せられ畢わんぬ。
 かかる大悪法、年を経て漸々に関東に落ち下って、諸堂の別当・供僧となり、連々とこれを行う。本より教法の邪正・勝劣をば知ろしめさず、ただ三宝をばあがむべきこととばかりおぼしめす故に、自然としてこれを用いきたれり。関東の国々のみならず、叡山・東寺・園城寺の座主・別当、皆、関東の御計らいと成りぬる故に、彼の法の檀那と成り給いぬるなり。
 問うて云わく、真言の教えをあながちに邪教と云う心、いかん。
 答えて云わく、弘法大師云わく「第一大日経・第二華厳経・第三法華経」と。能く能くこの次第を案ずべし。仏はいかなる経にかこの三部の経の勝劣を説き判じ給えるや。もし「第一大日経・第二華厳経・第三法華経」と説き給える経あるならば、もっともしかるべし。その義なくんば、はなはだもって依用し難し。法華経に云わく「薬王よ。今汝に告ぐ。我が説くところの諸経、しかもこの経の中において、法華は最も第一なり」云々。仏正しく諸教を挙げて、その中において法華第一と説き給う。仏の説法と弘法大師の筆とは、水火の相違なり。尋ね究むべきことなり。この筆を数百年が間、凡僧・高僧これを学し、貴賤上下これを信じて、大日経は一切経の中に第一とあがめけること、仏意に