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を永不成仏の道に入るれば、かえりて不知恩の者となる。
維摩経に云わく「維摩詰、また文殊師利に問う。何らをか如来の種となす。答えて曰わく○一切の塵労の疇は如来の種となる。五無間をもって具すといえども、なお能くこの大道意を発す」等云々。また云わく「譬えば、族姓の子よ、高原陸土には青蓮・芙蓉・衡華を生ぜず、卑湿汚田には乃ちこの華を生ずるがごとし」等云々。また云わく「すでに阿羅漢を得て応真となる者は、終にまた道意を起こして仏法を具すること能わざるなり。根敗の士は、それ五楽においてまた利すること能わざるがごとし」等云々。文の心は、貪・瞋・癡等の三毒は仏の種となるべし、父を殺す等の五逆罪は仏種となるべし、高原陸土には青蓮華生ずべし、二乗は仏になるべからず。
いう心は、二乗の諸善と凡夫の悪と相対するに、凡夫の悪は仏になるとも二乗の善は仏にならじとなり。諸の小乗経には、悪をいましめ、善をほむ。この経には、二乗の善をそしり、凡夫の悪をほめたり。かえって仏経ともおぼえず、外道の法門のようなれども、詮ずるところは二乗の永不成仏をつよく定めさせ給うにや。
方等陀羅尼経に云わく「文殊、舎利弗に語らく『なお枯樹のごときは、さらに花を生ずるや不や。また山水のごときは、本の処に還るや不や。折石還って合うや不や。燋種芽を生ずるや不や』。舎利弗言わく『不なり』。文殊言わく『もし得べからずんば、いかんぞ我に菩提の記を得ることを問うて歓喜を生ずるや』と」等云々。文の心は、枯れたる木花さかず、山水山にかえらず、破れたる石あわず、いれる種おいず。二乗またかくのごとし。仏種をいれり等となん。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(005)開目抄 | 文永9年(’72)2月 | 51歳 | 門下一同 |