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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

大樹あり、無尽根となづく。これを大薬王樹と号す。閻浮提の諸木の中の大王なり。この木の高さは十六万八千由旬なり。一閻浮提の一切の草木は、この木の根ざし・枝葉・花菓の次第に随って花菓なるなるべし。この木をば仏の仏性に譬えたり。一切衆生をば一切の草木にたとう。ただし、この大樹は火坑と水輪の中に生長せず。二乗の心中をば火坑にたとえ、一闡提人の心中をば水輪にたとえたり。この二類は永く仏になるべからずと申す経文なり。
 大集経に云わく「二種の人有り、必ず死して活きず。畢竟して恩を知り恩を報ずること能わず。一には声聞、二には縁覚なり。譬えば、人有って深坑に堕墜するに、この人自ら利し他を利すること能わざるがごとし。声聞・縁覚もまたかくのごとし。解脱の坑に堕ちて、自ら利しおよび他を利すること能わず」等云々。
 外典三千余巻の所詮に二つあり。いわゆる、孝と忠となり。忠もまた孝の家よりいでたり。孝と申すは高なり。天高けれども、孝よりも高からず。また孝とは厚なり。地あつけれども、孝よりは厚からず。聖賢の二類は孝の家よりいでたり。いかにいわんや、仏法を学せん人、知恩・報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩をしって知恩・報恩をいたすべし。
 その上、舎利弗・迦葉等の二乗は、二百五十戒・三千の威儀を持整して、味・浄・無漏の三静慮、阿含経をきわめ、三界の見思を尽くせり。知恩・報恩の人の手本なるべし。しかるを、不知恩の人なりと世尊定め給いぬ。その故は、父母の家を出でて出家の身となるは、必ず父母をすくわんがためなり。二乗は、自身は解脱とおもえども、利他の行かけぬ。たとい分々の利他ありといえども、父母等