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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

んで、銭を河に入れて、これを水の直とす。
 竜は必ず袈裟を懸けたる僧を守る。仏より袈裟を給わって竜宮城の愛子に懸けて、金翅鳥の難をまぬかるる故なり。金翅鳥は必ず父母孝養の者を守る。竜は須弥山を動かして金翅鳥の愛子を食す。金翅鳥は、仏の教えによって、父母の孝養をなす者の僧のとるさんばを須弥の頂におきて竜の難をまぬかるる故なり。天は必ず戒を持ち善を修する者を守る。人間界に戒を持たず善を修する者なければ、人間界の人死して多く修羅道に生ず。修羅、多勢なれば、おごりをなして必ず天をおかす。人間界に戒を持ち善を修するの者多ければ、人死して必ず天に生ず。天多ければ、修羅おそれをなして天をおかさず。故に、戒を持ち善を修する者をば天必ずこれを守る。いかにいわんや、二乗は六凡より戒徳も勝れ、智慧賢き人々なり。いかでか、我が成仏を遂げたらん法華経を行ぜん人をば捨つべきや。
 また、一切の菩薩ならびに凡夫は、仏にならんがために四十余年の経々を無量劫が間行ぜしかども、仏に成ることなかりき。しかるを、法華経を行じて仏と成って、今十方世界におわします仏、仏の三十二相八十種好をそなえさせ給いて、九界の衆生にあおがれて、月を星の回るがごとく、須弥山を八山の回るがごとく、日輪を四州の衆生の仰ぐがごとく、輪王を万民の仰ぐがごとく仰がれさせ給うは、法華経の恩徳にあらずや。されば、仏は法華経に誡めて云わく「また舎利を安んずることを須いず」。涅槃経に云わく「諸仏の師とするところは、いわゆる法なり。この故に、如来は恭敬・供養す」等云々。法華経には我が舎利を法華経に並ぶべからず、涅槃経には諸仏は法華経を恭敬・供養すべしと説かせ給えり。