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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(034)

聖愚問答抄上

 文永5年(ʼ68) 47歳

 夫れ、生を受けしより死を免れざる理は、賢き御門より卑しき民に至るまで人ごとにこれを知るといえども、実にこれを大事としこれを歎く者、千万人に一人も有りがたし。無常の現起するを見ては疎きをば恐れ親しきをば歎くといえども、先立つははかなく留まるはかしこきように思って、昨日は彼のわざ今日はこのこととて、いたずらに世間の五欲にほだされて、白駒のかげ過ぎやすく羊の歩み近づくことをしらずして、空しく衣食の獄につながれ、いたずらに名利の穴におち、三途の旧里に帰り六道のちまたに輪回せんこと、心有らん人、誰か歎かざらん、誰か悲しまざらん。
 ああ、老少不定は娑婆の習い、会者定離は浮き世のことわりなれば、始めて驚くべきにあらねども、正嘉の初め世を早うせし人のありさまを見るに、あるいは幼き子をふりすて、あるいは老いたる親を留めおき、いまだ壮年の齢にて黄泉の旅に趣く心の中、さこそ悲しかるらめ。行くもかなしみ、留まるもかなしむ。彼の楚王が神女に伴いし、情けを一片の朝の雲に残し、劉氏が仙客に値いし、思いを七世の後胤に慰む。予がごとき者、底に縁って愁いを休めん。「かかる山左のいやしき心なれば、身には思いのなかれかし」と云いけん人の古事さえ思い出でられて、末の代のわすれがたみにもとて、