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の種子・尊形・三摩耶、その数をしらず。しかるに、漢土にはただわずかに六巻・七巻なり。涅槃経は双林最後の説、漢土にはただ四十巻、これも梵本これ多し。これらの諸経は皆、釈迦如来の説くところの法華経の眷属の修多羅なり。この外、過去の七仏・千仏、遠々劫の諸仏の所説、現在十方の諸仏の説経、皆、法華経の経の一字の眷属なり。
されば、薬王品に、仏、宿王華菩薩に対して云わく「譬えば、一切の川流江河の諸水の中に海はこれ第一、衆山の中に須弥山はこれ第一、衆の星の中に月天子は最もこれ第一なるがごとし」等云々。妙楽大師、釈して云わく「已今当の説に最もこれ第一なり」等云々。この経の一字の中に十方法界の一切経を納めたり。譬えば、如意宝珠の一切の財を納め、虚空の万象を含めるがごとし。経の一字は一代に勝る故に、妙法蓮華の四字もまた八万法蔵に超過するなり。
妙とは、法華経に云わく「方便の門を開いて、真実の相を示す」。章安大師、釈して云わく「秘密の奥蔵を発く。これを称して妙となす」。妙楽大師、この文を受けて云わく「発とは開なり」等云々。妙と申すことは、開ということなり。
世間に、財を積める蔵に鑰なければ、開くことかたし。開かざれば、蔵の内の財を見ず。華厳経は、仏説き給いたりしかども、経を開く鑰をば、仏彼の経に説き給わず。阿含・方等・般若・観経等の四十余年の経々も、仏説き給いたりしかども、彼の経々の意をば開き給わず。門を閉じておかせ給いたりしかば、人、彼の経々をさとる者一人もなかりき。たといさとれりとおもいしも、僻見にてありしなり。しかるに、仏、法華経を説かせ給いて、諸経の蔵を開かせ給いき。この時に四十余年の九界の
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(033)法華経題目抄(妙の三義の事) | 文永3年(’66)1月6日 | 45歳 |