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に懺悔せりといえども、罪いまだ滅せずして、千劫、阿鼻地獄に堕ちたりと見えぬ。
懺悔せる謗法の罪すら、五逆罪に千倍せり。いわんや、懺悔せざらん謗法においては、阿鼻地獄を出ずる期かたかるべし。故に、法華経第二に云わく「経を読誦し書持することあらん者を見て、軽賤憎嫉して、結恨を懐かん乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん。一劫を具足して、劫尽きなば、さらに生まれん。かくのごとく展転して、無数劫に至らん」等云々。
第三に問答料簡を明かさば、
問うて云わく、五逆罪と謗法罪との軽重はしんぬ。謗法の相貌いかん。
答えて云わく、天台智者大師の梵網経の疏に云わく「謗とは背くなり」等云々。法に背くが謗法にてはあるか。天親の仏性論に云わく「もし憎背せば」等云々。この文の心は、正法を人に捨てさするが謗法にてあるなり。
問うて云わく、委細に相貌をしらんとおもう。あらあらしめすべし。
答えて云わく、涅槃経第五に云わく「もし人有って如来は無常なりと言わば、いかんぞ、この人、舌堕落せざらん」等云々。この文の心は、仏を無常といわん人は舌堕落すべしと云々。
問うて云わく、諸の小乗経に、仏を無常と説かるる上、また化するところの衆、皆無常と談じき。もししからば、仏ならびに化するところの衆の舌、堕落すべしや。
答えて云わく、小乗経の仏を小乗経の人が無常ととき談ずるは、舌ただれざるか。大乗経に向かっ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(029)顕謗法抄 | 弘長2年(’62) | 41歳 |