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かりなし。竜と蛇と鬼神と、仏・菩薩・聖人をば、いまだ見ず、ただおとにのみこれをきく。当世に上の七大地獄の業を造らざるものをば、いまだ見ず、またおとにもきかず。
しかるに、我が身よりはじめて一切衆生、七大地獄に堕つべしとおもえる者一人もなし。たとい言には堕つべきよしをさえずれども、心には堕つべしともおもわず。また僧尼士女、地獄の業をば犯すとはおもえども、あるいは地蔵菩薩等の菩薩を信じ、あるいは阿弥陀仏等の仏を恃み、あるいは種々の善根を修したる者もあり。皆おもわく「我はかかる善根をもてれば」なんどうちおもいて、地獄をもおじず。
あるいは宗々を習える人々は、各々の智分をたのみて、また地獄の因をおじず。しかるに、仏菩薩を信じたるも、愛子・夫婦なんどをあいし父母・主君なんどをうやまうには、雲泥なり。仏菩薩等をばかろくおもえるなり。されば、当世の人々の「仏菩薩を恃みぬれば、宗々を学したれば、地獄の苦はまぬかれなん」なんどおもえるは、僻案にや。心あらん人々は、よくよくはかりおもうべきか。
第八に大阿鼻地獄とは、または無間地獄と申すなり。欲界の最底、大焦熱地獄の下にあり。この地獄は縦広八万由旬なり。外に七重の鉄の城あり。地獄の極苦は、しばらくこれを略す。前の七大地獄ならびに別処の一切の諸苦をもって一分として、大阿鼻地獄の苦一千倍勝れたり。この地獄の罪人は、大焦熱地獄の罪人を見ること、他化自在天の楽しみのごとし。この地獄の香のくささを人かぐならば、四天下・欲界の六天の天・人、皆ししなん。されども、出山・没山と申す山、この地獄の臭き気をおさえて人間へ来らせざるなり。故に、この世界の者死せずと見えぬ。もし、仏、この地獄の苦
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(029)顕謗法抄 | 弘長2年(’62) | 41歳 |