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て舌を梵天に付けたもう。
今この義をもって余推察を加うるに、唐土・日本に渡れるところの五千・七千余巻の諸経、以外の天竺・竜宮・四王天・過去の七仏等の諸経、ならびに阿難の未結集の経、十方世界の塵に同ずる諸経の、勝劣・浅深・難易、掌中に在り。「無量千万億」の中に、あに釈迦如来の説くところの諸経漏らすべけんや。已説・今説・当説の年限に入らざる諸経これ有るべきや。願わくは末代の諸人、しばらく諸宗の高祖の弱文・無義を閣いて、釈迦・多宝・十方の諸仏の強文・有義を信ずべし。いかにいわんや、諸宗の末学の偏執を先となし末代の愚者の人師を本となして経論を抛つ者に依憑すべきや。故に、法華の流通たる双林最後の涅槃経に、仏、迦葉童子菩薩に遺言して言わく「法に依って人に依らざれ。義に依って語に依らざれ。智に依って識に依らざれ。了義経に依って不了義経に依らざれ」云々。
予、世間を見聞するに、自宗の人師をもって「三昧発得・智慧第一」と称うれども、無徳の凡夫にして実経に依って法門を信ぜしめず、不了義の観経等をもって時機相応の教えと称え、了義の法華・涅槃を閣き譏って理深解微の失を付く。如来の遺言に背いて「人に依って法に依らざれ。語に依って義に依らざれ。識に依って智に依らざれ。不了義経に依って了義経に依らざれ」と談ずるにあらずや。請い願わくは、心有らん人は思惟を加えよ。
如来の入滅は既に二千二百余の星霜を送れり。文殊・迦葉・阿難、経を結集してより已後、四依の菩薩は重ねて世に出でて、論を造り、経の意を申ぶ。末の論師に至って漸く誤り出来す。また訳者においても、梵漢にいまだ達せざる者、権教の宿習の人有って、実の経論の義を曲げて権の経論の義を
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |