392ページ
ず。しかるに般若経をもって依憑となす。これらの諸宗の高祖、多分は四依の菩薩なるか。定めて所存有らん。是非に及ばず。
しかりといえども、自身の疑いを晴らさんがために、しばらく人師の異解を閣いて諸宗の依憑の経々を開き見るに、華厳経は旧訳は五十・六十、新訳は八十・四十なり。その中に、法華・涅槃のごとく一代聖教を集めて方便となす文無し。四乗を説くといえども、その中の仏乗において十界互具・久遠実成を説かず。ただし、人師に至っては五教を立てて、先の四教に諸経を収めて華厳経の方便となす。
法相宗のごときは、三時教を立つる時、法華等をもって深密経に同ずといえども、深密経五巻を開き見るに、全く法華等をもって中道の内に入れず。
三論宗のごときは、二蔵を立つる時、菩薩蔵において華厳・法華等を収めて般若経に同ずといえども、新古の大般若経を開き見るに、全く大般若をもって法華・涅槃に同ずる文無し。「華厳は頓教、法華は漸教」等とは、人師の意楽にして仏説にあらざるなり。
法華経のごときは、序分の無量義経に、たしかに四十余年の年限を挙げ、華厳・方等・般若等の大部の諸経の題名を呼んで「いまだ真実を顕さず」と定め、正宗の法華経に至って一代の勝劣を定むる時「我が説くところの経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし」の金言を吐いて「しかもその中において、この法華経は最もこれ難信難解なり」と説きたもう時、多宝如来、地より涌出して「妙法華経乃至皆これ真実なり」と証誠し、分身の諸仏、十方よりことごとく一処に集まっ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(023)守護国家論 | 正元元年(’59) | 38歳 |