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なつかしきかおり、味とは猪鹿等の味、触とは耎らかなる膚等なり。ここに恒河沙劫に著すとも菩薩戒は破れず、一念の二乗の心を起こすに菩薩戒は破ると云える文なり。太賢、古迹に云わく「貪に汚さるといえども、大心尽きず。無余の犯無きが故に、無犯と名づく」文。二乗界に趣くを、菩薩の破とは申すなり。
華厳・般若・方等、総じて爾前の経には、あながちに二乗をきらうなり。定・慧これを略す。梵網経に云わく「戒をば謂って平地となし、定をば謂って室宅となし、智慧をば灯明となす」文。
この菩薩戒は、人・畜・黄門・二形の四種を嫌わず、ただ一種の菩薩戒を授く。この教えの意は、五十二位を一々の位に多俱低劫を経て、衆生界を尽くして仏に成るべし。一人として一生に仏に成るもの無し。また一行をもって仏に成ることなし。一切行を積んで仏と成る。微塵を積んで須弥山と成るがごとし。
華厳・方等・般若・梵網・瓔珞等の経にこの旨分明なり。ただし、二乗界のこの戒を受くることを嫌う。妙楽、釈して云わく「あまねく法華已前の諸教を尋ぬるに、実に二乗作仏の文無し」文。
次に円教。この円教に二つ有り。一には爾前の円、二には法華涅槃の円なり。爾前の円に五十二位、また戒・定・慧あり。
爾前の円とは、華厳経の法界唯心の法門。文に云わく「初発心の時、便ち正覚を成ず」。また云わく「円満修多羅」文。浄名経に云わく「我無く造無く受者無けれども、善悪の業、敗亡せず」文。般
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(017)一代聖教大意 | 正嘉2年(’58)2月14日 | 37歳 |