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よみ書き説き候。経文を虚言に成して、当世の人々を皆法華経の行者と思うべきか。能く能く御心得あるべきことなり。
五の巻の提婆品に云わく「もし善男子・善女人有って、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して、疑惑を生ぜずんば、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして、十方の仏前に生ぜん」と。この品には二つの大事あり。
一には、提婆達多と申すは、阿難尊者には兄、斛飯王には嫡子、師子頰王には孫、仏にはいとこにてありしが、仏は一閻浮提第一の道心者にてましまししに、怨をなして、「我はまた閻浮提第一の邪見・放逸の者とならん」と誓って、万の悪人を語らって仏に怨をなして、三逆罪を作して、現身に大地破れて無間大城に堕ちて候いしを、天王如来と申す記別を授けらるる品にて候。しかれば、善男子と申すは、男この経を信じまいらせて聴聞するならば、提婆達多程の悪人だにも仏になる。まして末代の人は、たとい重罪なりとも、多分は十悪をすぎず。まして深く持ち奉る人、仏にならざるべきや。
二には、娑竭羅竜王のむすめ竜女と申す八歳のくちなわ、仏に成りたる品にて候。このことめずらしく貴きことにて候。その故は、華厳経には「女人は地獄の使いなり。能く仏の種子を断つ。外面は菩薩に似て、内心は夜叉のごとし」と。文の心は、女人は地獄の使い、よく仏の種をたつ、外面は菩薩に似たれども、内心は夜叉のごとしと云えり。また云わく「一度女人を見る者は、よく眼の功徳を失う。たとい大蛇をば見るとも、女人を見るべからず」と云い、またある経には「あらゆる三千界の男子の諸の煩悩を合わせ集めて、一人の女人の業障となす」と。三千大千世界にあらゆる男子の
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(016)主師親御書 | 建長7年(’55) | 34歳 |