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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

衆生は、「これ真の仏子なり」とて、「これ実の我が子なり。この功徳をこの人に与えん」と説き給えり。これほどに思しめしたる親の釈迦仏をばないがしろに思いなして、「ただ一大事をもって」と説き給える法華経を信ぜざらん人は、いかでか仏になるべきや。能く能く心を留めて案ずべし。
 二の巻に云わく「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん乃至余経の一偈をも受けざれ」と。文の心は、仏にならんためには、ただ法華経を受持せんことを願って、余経の一偈一句をも受けざれと。三の巻に云わく「飢えたる国より来って、たちまちに大王の膳に遇うがごとし」と。文の心は、飢えたる国より来って、たちまちに大王の膳にあえり。心は、「犬・野干の心を致すとも、迦葉・目連等の小乗の心をば起こさざれ。破れたる石は合うとも、枯れ木に花はさくとも、二乗は仏になるべからず」と仰せられしかば、須菩提は茫然として手の一鉢をなげ、迦葉は涕泣の声大千界を響かすと申して歎き悲しみしが、今、法華経に至って、迦葉尊者は光明如来の記別を授かりしかば、目連・須菩提・摩訶迦旃延等はこれを見て、「我らも定めて仏になるべし。飢えたる国より来って、たちまちに大王の膳にあえるがごとし」と喜びし文なり。
 我ら衆生、無始曠劫より已来、妙法蓮華経の如意宝珠を片時も相離れざれども、無明の酒にたぼらかされて、衣の裏にかけたりとしらずして、少なきを得て足りぬと思いぬ。南無妙法蓮華経とだに唱え奉りたらましかば速やかに仏に成るべかりし衆生どもの、五戒十善等のわずかなる戒をもって、あるいは天に生まれて大梵天・帝釈の身と成っていみじきことと思い、ある時は人に生まれて諸の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成って、これ程のたのしみなしと思い、少なきを得て足りぬと思