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そもそも、妙とは何という心ぞや。ただ我が一念の心不思議なるところを妙とは云うなり。不思議とは、心も及ばず語も及ばずということなり。しかればすなわち、起こるところの一念の心を尋ね見れば、有りと云わんとすれば色も質もなし。また無しと云わんとすれば様々に心起こる。有りと思うべきにあらず、無しと思うべきにもあらず。有無の二つの語も及ばず、有無の二つの心も及ばず。有無にあらずしてしかも有無に遍して、中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名づくるなり。この妙なる心を名づけて法ともいうなり。この法門の不思議をあらわすに、譬えを事法にかたどりて蓮華と名づく。一心を妙と知りぬればまた転じて余心をも妙法と知るところを、妙経とはいうなり。しかればすなわち、善悪に付いて起こり起こるところの念心の当体を指して、これ妙法の体と説き宣べたる経王なれば、成仏の直道とはいうなり。
この旨を深く信じて妙法蓮華経と唱えば、一生成仏さらに疑いあるべからず。故に、経文には「我滅度して後において、応にこの経を受持すべし。この人は仏道において、決定して疑いあることなけん」とのべたり。ゆめゆめ不審をなすべからず。あなかしこ、あなかしこ。一生成仏の信心、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
日蓮 花押
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(015)一生成仏抄 | 建長7年(’55) | 34歳 | (富木常忍) |